Chapter 1:
A man of 住所不定無職
今日も見飽きた五畳間の竿縁天井を見上げていた。
木で組まれた天井の木目が生み出すマスに無意識に言葉をはめていく。
「自分の何もかも気に食わない」
「人間のフリをするのに疲れた」
「生きるのをやめたい」
はあとため息を吐いて安いだけのクソまずい酒を一気に煽った。
起き上がるのも面倒で寝転んだまま飲んだので大半顔面にかかる。
どうでもいい、そんなことも、何もかもどうでもよかった。
死ねないなら生きるのをやめたいなんていう甘えた感情に嫌気が差す。
知っている、どれだけ生きるのをやめたいと思ったところで俺は死ねない。この25年間自殺なんてできなかったんだから、どうせこれからもできない。
でも人として生きるのが苦しくて苦しくて仕方がない、何をしている自分も嫌いだ。笑っている自分も怒っている自分も息をしている自分も生きている自分も。
また理由のない不安感が襲ってきていた。おかしいくらいに心臓が脈打って、息が上がる。
手元にあった睡眠薬を規定の量以上に飲んで頭から布団を被り、無理やり目を閉じた。
俺を飲み込みそうになる不安と思考が濁流のような何かに押し流されて、意識を失った。
誰かの笑い声で目が覚めた。
外は暗く、おそらく深夜だ。5日ぶりに起き上がって3ヶ月ぶりに窓の外を見る。
とそこには、全裸で爆笑しながらアパートの前を小走りで駆ける中高年くらいの男性がいた。
異様な光景だが、俺にとってはなぜか驚くほどに現実味があった。3ヶ月ぶりに見る現実の外の風景だからだろうか。
「オッサン何したあるん?」
1年ぶりに人に話しかけた。
弾ける笑顔でおっさんは言った。
「ガハハハハ!こないしてな、全裸でこの辺走り回ってな!この地域の七不思議になったるんや!ガハハハハ!ぜーんぶおしまいや!」
イカれてる。
しかし底抜けに明るいおっさんの声を聞いて、俺はなぜか嬉しかった。この街に俺以外にこんなに人間が向いていないのに人間やってるやつがいるんだ!
そしてこのおっさんのために俺ができることはないだろうか?という考えが頭を過ぎった。
俺がこのおっさんのためにできること、それは一緒に全裸になって走ってあげることに他ならないだろう。
俺は夢中で服を脱ぎ、窓の外へ出るとおっさんを追いかけた。
俺たちは何も会話することなく、ただ爆笑しながら街を駆け抜けた。
不思議な一体感に包まれていた。
ここで逮捕されて俺ももうおしまいや!
当たり前のことが痛快で本当に笑いが止まらなかった。
景色が流れ、時間がニュッと伸びたように感じる、
息が弾んで自分の呼吸音が煩かったが、足は跳ねるように地面を蹴り、体は伸びて心は踊った。
「何もかもおしまいにしたるんや!」
気づけば叫んでいた。
目が眩むようなLEDの外灯に照らされたおっさんは、心底嬉しそうに笑っていた。
その後現れた警察を意外に草むらに隠れて意外に撒いてみたり、
公園の遊具で全力で遊んでみたり、
水分補給をしてみたりした。
どうせ捕まって何もかも終わるのにと思うとなんだかすごく楽しかった。
ついに踏切の手前で警察官に囲まれた時、宿題をやっていてしんどくて「そうや、明日家に忘れてきたって言お」と決めた時のような、何かから解放される気持ち良さがあった。
おっさんは振り返ると尋ねた。
「クソガキ、名前なんて言うねん」
「川原」
「ほうけ、俺はアリタ」
俺の夜はここで終わった、もうおしまいという言葉が嬉しくて何回も何回も心の中で噛み締めた。
30日後、俺は釈放されていた。
人生はそう簡単に終わってなどくれなかった。
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