Chapter 2:

2人で夜の道を

A man of 住所不定無職


俺が次にアリタを見たのは、逮捕されてからちょう3ヶ月ほど経った夜だった。

俺が不用品回収のアルバイトを終えてネットカフェに戻ろうとしていた時、道路脇の藪からガサガサと音がした。

動物か何かかと思い慌てて飛び退くと、藪から半裸の小汚いおっさんが顔を出した。

「うわっ、ア、アリタ!?」

「川原!?おい川原け!?どうしとったんやワレ!」

まさかの再会。

舗装が剥がれて石ころが転がる地面を滑りそうになりながら走ってアリタに近づいた。

あの異常な夜を作った2人はどういう心理かハイタッチしたまま手を取り合い、グルグルと回った。そのまま遠心力で手が離れ、お互い道路にぶっ倒れた。

「何で藪から出てくんねんな...」

寝っ転がった体勢のまま俺はアリタを見る。道路に擦った皮膚がヒリヒリと脈打つ。同じく道路に四股を放り出して眩しいほどの小汚い笑顔を浮かべてこちらを見ていたアリタも話し始める。

「そやそや、俺は今さっき寺から逃げてきてんや!」

...寺から、逃げる?

意外過ぎる一言に体を起こすとアリタはガハハと笑う。

歯が、なんか10本くらいしかない。

「いや、住所がないと仕事が始められへんやろ。仕事がないと飯もない。ほんでや、昔親戚に根性叩き直してもらってこい!言うて寺に放ってっかれたん思いしたわ。寺に修行に行ったらなんや住まわしてもらえるし飯ももらえるやないか。ほって寺に行ってんやけどな、これがもう傑作でな!」

「あっさっから晩っまで座禅座禅座禅、わっけのわからん作法はあるわ、坊主の話は心に響かんわやで。キッツイでほんま!ほっで1番アカンのは禁酒や禁酒!自分で買うてきた酒でも飲んだらアカンて。酒飲んでへん時の俺なんか、どっこも俺とちゃうわ!自慰やら何やら単なる娯楽は捨てれてもな、酒はあかんで!坊主みたいなもんが生きる為に必要な酒を奪ってどおすん!」

「っはははははははは、アリタさてはアル中やな?」

「アルコールがありゃあなー!そこがどこでも極楽やでなー!仏教徒からしたら反則技やもしらんな!仏教なんか知らんけどな!」

うんうん、こんなにクズい理由で寺の修行に参加した人間はかついていたろうか!いやなんか色々凄い単語も聞こえた気がしたけど、どうでもいいことだった。あの夜何もかも終わらせてやると言っていたアリタが生きて楽しそうにしていることが、俺は嬉しかった。

「俺のこったええん川原!お前生きっとったんかあ!」

急に俺に話が向いて、ああ...と声を漏らした。

アリタに聞いて欲しい話は山程あったが、突然再会すると上手く纏まらない。俺はあの夜の後起こったことを思い出す。

釈放されて家に帰った時、俺は父親に殴られてぶっ飛んでいた。

俺が前に母屋のリビングに来たのはいつだっただろうか。

自分の部屋にしてしまっている離れに引きこもったのは確か3年前だったから3年ぶりだろうか。

俺が家族と過ごした時にはなかったローテーブルに後頭部を強かにぶつけて、目の前に火花が散る。

脳が揺れる中で見た親父の顔は泣いていた。

どうしてこうなった?俺が引きこもり始めたあの日のことも、俺がただただ全てどうでも良くなったことも、何もかもお終いにしたいと思ったことも、どれも真面目に一家を支えてきた親父を泣かせてもいい理由にはならなかった。

それでも俺を家に置いて、今拳を痛めて泣きながら俺に怒ってくれている父親を見ていると、熱い涙が目頭から溢れてきて、俺は殴られたままの体勢で泣いていた。俺がどうでもいいと思っていた世界は、俺のようなお荷物を抱えて一生懸命家族が生きていた世界なのだ。

父親は静かに出ていけとだけ言った。

俺は立ち上がることも泣き止むこともできずただひたすらに頷いた。

父親も俺も動けずにいると、母親は俺に近づいてきて肩に触れると涙ぐみながら優しく言った。

「あんたがこんな風になるまで、なんもせんと自立もさせんと、ただお金だけあげて住まわしてた私らもあかんかったんや。あんた、局部を露出さしたかったんやったらなんで言うてくれへんのん?全裸で街中走り回る前に、お母さんなんとかできたかもしれへんやんか」

ああそうだ。俺は今、局部を露出させて街中を嬉々として駆け抜ける本物の変態と思われているんだった。しかも事象としては今述べたことで何も間違ってはいない。

あれ、父親の涙も母親の涙も身内が変態だったことによるものなのか。それはそうか、それは泣けるな。

「あの、オトンオカン聞いて。俺はこう、引きこもってるうちに頭がどうかしてしもて、なんかおかしな衝動に任せて全裸で街を駆け抜けてもうてんけどな。でも別に常日頃から局部を人前で露出したいなんて思てへんくて。あの日も別に局部を人前で露出したかったんとちごて!」

「なんや!まだ言い訳すんのんか!」

「見苦しいぞ!」

「ちゃうねん!引きこもってるうちに頭がどうかしたことが原因で!家におったら引きこもれてまうから、出ていくんは出て行くん!でも決して変態とは違って!」

あの夜全裸で走り回るまでは、俺はこの世の全てがどうでもよかった。

自分が情けないとも、この状況を脱したいとも思えなかった。

ただただ、何もかもが面倒で、考えるのが、感情を揺さぶられるのが億劫で、全てに無関心で、自分が生きていることもこの部屋の外のことも意味のないことだった。

しかし今は不思議と、自分が恥ずかしかった。

家族から変態だと思われていたことも、自分の部屋の据えた匂いも、そこに寝過ぎて凹んだ畳も、埃のかぶった玄関の靴も、部屋から出るのが面倒臭窓から小便をしていたことも、親の金をくすねたことも、死のうとしてその手順すら途中で疲れてうまくいかず失敗したことも、本当に叫びたいくらい恥ずかしかった。

それまでの、薄ぼんやりと霧がかかっていたような感覚がいつの間にか消えていた。

その後俺は、一応弟や姉も含めた家族皆に見送られて、行くあてがある風に家を飛び出て、ひとまずバイトを探して漫画喫茶に寝泊りしていた。

そんな話を笑って聞いていたアリタは、ふと、お前も行くあてないんかと呟いた。そして言った、

「俺と一緒に屋台やるけ?」

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